日記・コラム・つぶやき

2016.03.20

地下鉄サリン事件と1995年

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地下鉄サリン事件が起きた21年前の今日の朝、僕は「浪人することが決まり、駿台へ行くことになりました」と恩師に報告するために高校へ行くところだった。

事件が起きた頃は、日比谷線に乗り入れている東武線に乗っていた。その日の目的地は浦和なので途中の新越谷駅で降りたけど、たしかその新越谷駅で「日比谷線の駅で爆発か何かがあったらしい」と聞き、驚き、途中で合流した友人にそのことを話したのだったと思う。

翌月からは御茶ノ水の駿台に通うようになった。御茶ノ水駅の周辺ではオウム真理教の信者が彼らの主張を載せた雑誌を配っていて、1度だけもらったことがある。それはまだ捨てていない。当時、オウム側を担当していてテレビにも頻繁に登場していた老弁護士がお気に入りの喫茶店があり、そこにカメラが押し寄せているのを見たこともあった。

僕と事件の関わりはそんなものなのだけど、当時の僕は阪神淡路大震災が起こり、都心でテロ事件が起き、その他にもいろいろなことがあったこの1995年のニュースに釘付けになってしまい、ひたすら新聞を読み、切り抜き、スクラップを作っていた。のめり込んでいた。

おかげで駿台では小論文担当の講師とさまざまな事で話すのが楽しくなってしまい、いま考えると、本来やるべき勉強には全くといっていいほど打ち込んでいなかったと思う。

そしてオウム事件と学生運動との関連を論じた新聞記事をもって講師に質問しにいったところ、学生運動出身だった講師の心に火を付けてしまい、受験とはまったく関係のない学生運動関連の映画の上映会を何人かの講師たちが実施し、授業ではないのにあふれんばかりの人が集まってしまう、ということもあった。

1995年は、いまでもいろいろ語りたくなってしまうくらい、自分にとっては強烈な体験の連続だった。いまの僕の人生に大きな影響を与えた年だったと思う。

2015.09.21

日本一のホットケーキ

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マツコデラックスが番組のパンケーキ特集で日本一と大絶賛した店が地元にありまして。

番組で取り上げられて以来、いつも行列ができていたのですが、今日は人が並んでいなかったので初めて入ってみました。

派手なものは特にない、地元の人が集まるような昔ながらの喫茶店です。ホットケーキもシンプルで地味なものですが、ふわっとした空気感があり、やさしい味でした。

ホットケーキには特に思い入れはなかった自分でも、この「やさしい」感じを知ってしまうと、たまに来たくなりそうな気がしました。

2015.03.12

LODチャレンジアイデア部門優秀賞、とったどー

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Linked Open Data チャレンジ Japan 2014の、アイディア部門 優秀賞をいただいてきました。

これは、農林水産省の品種登録データベースのIDやデータを活用し、「トマト」「キャベツ」といった野菜の種類ではなく、「ニタキコマ」「つまみどり」といった「品種」のレベルで農産物を識別したり参照したりできるようなデータを作り、生産者や商店や飲食店や消費者などがいままでよりも豊かに農産物を楽しんだり、売上をあげたりできる環境を作っていこう、というアイデアです。

UberやAirbnbのような最近流行りのサービスは、(合法性はさておき)いままではタクシーや旅館として認識・識別されていなかったものを認識・識別できるようにして、評価情報などを加えられる環境を作って、新しいマッチングを生み出していると理解しています。「識別」「評価」「マッチング」がポイントです。

このノーバ(Uberにひっかけてます)も、農産物を品種レベルで「識別」「評価」「マッチング」して今までにない楽しみ方を生み出すことを目指している、といえます。

これは、僕自身が生み出したアイデアではなく、 NPO法人ブロードバンド・アソシエーションに作られた スマートプラットフォーム・フォーラムという活動の「デジタルデータ・コンテンツ分科会(僕が主査をしています)」のものです。もともとはSFCの村井先生に巻き込まれて(断れないですよね(笑))始めた活動でしたが、続けてきてよかったと本当に思います。関係者のみなさん、ひきつづきよろしくお願いします。

2014.01.21

僕達の責任

境治「世代交代がないと、進化できない。」(ハフィントン・ポスト)という記事を読んだ。

「日本が変わりかけたけど変わらなかった。その責任を、さっきこってり批判的なことを書いた老人ひとりのせいにはできないだろう。そうだ。日本社会が変われなかったのは、ぼくたちひとりひとりが変われなかったからだ。昭和にしがみついたのは他ならぬぼくたちなのだろう。」

あと23年経つと僕は60歳になる。その時、日本の人口は目に見えて減少し、高齢者ばかりで今よりももっと社会の運営が難しい状況になっていると思う。政府が財政破綻をしてるかもしれないし、そのせいで災害からの復興がうまくできず苦しんでいるかもしれない。外国人労働力に頼ったはいいけれど社会対立が激化し不安な社会になっているかもしれない。

そんなひどい状態になった時に、若者たちから「こうなることが薄々分かっていたのにどうして避けられなかったのか」と責められる、つまりその責任を負うのは僕たちの世代だ。僕だ。どうして頭の硬い上の世代を押しのけてでも真剣に少子化対策に取り組まなかったのか、どうして本質的な構造改革を避けて昭和の価値観のままでいたのか…と問われるだろう。

そこで居直って「俺たちの時代はまだ世界3位の経済大国だった」とか「日本文化が世界から注目されていた」とか言ったりしつつ逃げ切りを図ろうとするのだろうか。嫌だ嫌だ。

だから、都知事選候補が高齢者ばかりで良くないね、とか、なかなか日本の大企業の体質は変えられないね、などと言いながら高齢世代を批判する「だけ」のポジションに落ち着いてしまう30-40代の態度は、無責任なのではないか、と思ったりする。

僕はときどき、シニア世代の「偉い人」の放言に噛みついたり、彼らに楯突くような意見をしたりすることがある。それはこの元記事の筆者みたいな考え方を持っているからだと言える。そういうことに改めて気づいた。

※写真はロダン作「地獄の門」

2014.01.12

レポート:「オランダという国での『自己決定』を巡る議論」

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GLOCOM社会イノベーションラボのイベントとして、「オランダという国での『自己決定』を巡る議論」というタイトルの講演会を企画・開催した。

詳細はこちら(https://www.facebook.com/events/1431979730366406/)。

タイトルで明示していないが、この講演のテーマは、オランダにおける安楽死をめぐる制度と実態だ。はじめに講師のジャネット・あかね シャボットさんは「頭のなかのスクリーンをすべて除去してください」と述べた。先入観や価値判断を取り払い、オランダでどのような議論があってどのような制度が作られているのか、実際にどのようなことが起きているのかを静かにうかがった。

オランダの安楽死は「本人」の「任意」かつ「熟慮の末」の「要請にもとづいて」「医師」が実施する「医療行為」だ。もちろん保険も適用される。ただし実施にあたってはいくつかの類型があるし、いずれにしろさまざまな要件を満たす必要がある。そうした条件のひとつひとつに長い長い議論があったそうで、これは相当具体的に考えぬかれた仕組みだということがわかった。

制度だけでない。実際に安楽死を行うと決めるまでのプロセスもきめ細かく丁寧に進んでいく。安楽死を望む人は、家族や医師などと何度も何度も相談を重ねる。いわゆるインフォームドコンセントだが、「情報を提供して自己決定させる」といったこの言葉から想像するものよりもずっと丁寧で、ああでもないこうでもないと迷い、考えていく、双方向の対話プロセスだということがよくわかった。そして、周囲も納得のうえで自己決定をするのでその意思は尊重される。実際、オランダの安楽死の実態を調査した米国の人類学者は「生命終結行為は全体のごく一部であり、これは対話のプロセスである。それが緩和ケアになっている」と評価したそうだ。そして、安楽死を選んだ人のほぼすべてが自分にとって「大切な人」に囲まれ、自宅で家庭医によって安楽死しているという。

こうしてオランダでは安楽死が合法化されているが、ただしこのプロセスは必ず「検証可能」でなくてはいけないそうだ。こっそりやることは許されない。透明性がなくてはいけないのだ。こうした透明性とディスカッションはオランダの伝統らしい。

シャボットさんの話をまとめると、オランダで安楽死の要請をする人は自殺願望者ではない。むしろ、自分の生はよりよいものでありたい(≒尊厳のあるものでありたい)と考える人たちである。言い換えると安楽死は「よく生きる」ことを追求した結果の結論のひとつだということだ。死は自分と周囲との関係の中にあり、しかしたとえその決定が部外者から見て「ベスト」なものでなくても、最終的には本人の決定を尊重する。シャボットさんは、「自己決定と隣人愛」ということをキーワードとして述べていた。

まだ僕は「死」「安楽死」ということをほとんど身近には考えられない。しかし、これを家族や周囲の人々との関係の延長の中にある自己決定なのだと捉えると、それはつまり今の「生」とつながっていることなんだといえると思った。

2013.05.12

飲食も会話もできて電源もとれる図書館がいい

先日の出張で訪問したデンマークのコペンハーゲン市の図書館について書かれた藤崎浩太郎さんのブログを紹介したい。

コペンハーゲンの、対話する図書館。
http://www.fujisakikotaro.jp/blog/activity/entry1669.html

じつは僕は、図書館があまり好きではない。それは日本の図書館が静かすぎるのと、飲食ができないからだ。一方、このコペンハーゲンの図書館では、飲食も会話もすることができる。パソコンを持ち込んで作業をするための電源もたくさんあった。だから学生たちがたくさんいて、友人たちと教えあったり、コーヒーを飲みながら調べ物をしたりしていた。僕も、このコペンハーゲンの図書館の雰囲気なら通いたいと思った。

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それから図書館ではないけれども、少しノイズがあり、美味しいコーヒーを飲みながら知的な雰囲気の中で仕事ができるということでは、オランダのユトレヒトで訪問したコワーキングスペース Seats2meet も良い空間だった。

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このSeat2meetは最近東京にも誕生している。ユトレヒトの印象がよく、こういった場所を求めている僕は、東京に帰ってきてからすぐに東銀座にある日本のSeats2meetへ行ってみた。ユトレヒトのスペースと比べると規模は小さいけれど、ここも快適そうでまた行ってみたいと思った。

2013.01.13

部活の話

「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ(朝日新聞) http://www.asahi.com/national/update/0111/TKY201301110314.html

僕は、少年野球をやってた時にさんざん怒鳴られて嫌になって、中学からは野球をあきらめたという経験がある。

何アウトでどのベースにランナーがいてどっちにボールが飛んだらどんな守備をするかとか、ある形式の練習をする時にそれにどんな意味があり何を意識して練習するのかとか、小学5年の秋から(つまり他のメンバーより遅れて)チームに入った僕には分からない事が多く、モタモタしてるといってはコーチに怒られてた。体罰はほとんど無かったけど、何度か経験はある。

友達と空き地でやる野球で大きな当たりを飛ばせる様になって、多少の自信を持ってチームに入ったのだけれども、僕はすっかり萎縮し、野球が面白くなくなってしまったのだった。それでも、親に自分から入りたいと泣いて頼んで入ったし、すぐに卒業を迎えるという事で我慢してた。

中学からは陸上部に入り、シンプルで実力本位の競技に転向した。男女混合で上下関係の緩やかな中で和気藹々と過ごしたのも良かった。スポーツ科学の本にのめり込み、高校時代は練習の意味を考えながらメニューを作るのがとても楽しかった。

高校の時の練習は本当にキツかったけど、意味はよく理解できたし、最後はどこまで妥協せず頑張れるかという自分との勝負の世界だったので納得感が違った。自分より実力のある友人が、貧血で力を発揮できなくなるのを見て、単にたくさん練習すればいいものでもなく、体調が整わなければいけないということもよく分かった。

つまり僕は、理不尽な根性論の部活的文化が大嫌いで、中学で陸上を選んで本当に良かったということ。いい競技、いい顧問や先輩後輩、仲間やライバルに出会って本当によかった。

そんなことを桑田さんの記事で思い出した。

2013.01.02

いい仕事をする年に

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新年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

昨年を振り返ると、三月に二人目の子どもが生まれ、また長女も元気にたくましく成長し、家庭が賑やかになりました。

仕事ではIT戦略本部電子行政タスクフォースで取り組んできたオープンデータの政策が具体化し始め、7月には「電子行政オープンデータ戦略」がまとまりました。首相がオープンデータの推進を表明した時には大きな達成感がありました。その後、政府(オープンデータ流通推進コンソーシアム(総務省)利活用普及委員会や経済産業省公共データWG)での議論や、オープンナレッジファウンデーションの立ち上げと代表就任、横浜オープンデータソリューション発展委員会の立ち上げのお手伝いと理事就任など、実践活動に力を入れました。

またGLOCOMのプロジェクトを通じた社会イノベーションやスマート社会論など新たなテーマに取り組むことで、苦しみながらも自分の幅を広げた年であったと思います。ひきつづき科研費をいただくこともきまり、社会ネットワークと地域社会に関する研究も新たな段階に入りました。

本当にたくさんの方と出会い、いろいろな恵みをいただきました。

ただ、自分がひとつひとつの機会を充実させることができたかと考えると、そうでもなかったという悔いも多々あります。

だから今年はもっと「いい仕事をしたい」と思います。「いい」というのは自分にしかわからない基準ではあるのですが、ともかくひとつひとつの機会を大事に、味わうように過ごして、お世話になっている方にお返しができるように、自分としても先へ進んだと思える一年にしたい、というのが今の気持ちです。

本年もよろしくお願い申し上げます。

庄司昌彦

2012.01.28

FTMは新しい情報社会論を生み出せるか

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GLOCOMではいま、未来の技術と社会の関わりを考えるFTM(Future Technology Management)フォーラムというプロジェクトを進めている。僕は、このプロジェクトの柱の一つである、Green Tableという若手ラウンドテーブルの企画運営を担当している。

今年度は10月から3月までの間に4回の議論をすることを予定していて、これまでに次のような3回の議論を行なってきた。

■第1回 川崎裕一氏「ソーシャルネットワークはモノづくりを変えるか」 http://www.glocom.ac.jp/2011/12/1ftmgreentable.html ■第2回 楠正憲氏「生産性の再定義 ~「もっと、速く、良く」を超えて~」 http://www.glocom.ac.jp/2012/01/_ftmgreentable.html

■第3回 山田メユミ氏「消費はこの先どう変わるのか? 」
http://www.glocom.ac.jp/2012/01/3ftmgreentable.html

毎回の議論はそれぞれ刺激的で、発見がたくさんあって楽しいのだけれども、このラウンドテーブルの狙いはそこだけではない。4回を通じて「スマート社会」についての考察を深め、構想することにある。だから、各回の議論を通しで眺めてみて、あるいはもうひとつのシニアラウンドテーブル(RedTable※非公開)と合わせて議論を眺めてみて、何が見えてくるのか、ということを考えなければいけない。

で、僕は一連の議論にほぼ全て参加して流れをフォローしているので、自分なりにもやもやと考えているのだが、FTMフォーラムは、どうやら新しい情報社会論を作る場になってきているのではないかと思えてきた。まだ確信を持ってはいえないが、おぼろげながらにポイントが見えてきた気がする。

それは、こういうことだ。公文先生の『リーディングス情報社会』などの整理によれば、情報社会論は、1960年代から70年代にかけての何人かの論者を源流としている。彼らの議論は、重厚長大な工業社会への反省が主要テーマだった。

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しかし、90年代中盤から2000年代にかけて、あるいは少なくともここ10年において、「IT革命」や「Web2.0」といったビジネスインパクトやメディア論寄りのキーワードに象徴される情報社会論では、その色は薄まっていた。

それが、2009年にオバマ政権が「グリーンニューディール」政策の中で打ち出したスマートグリッドの議論や、ユビキタスなデバイスで生活環境を高度化するスマート社会論の登場、福島第一原発事故などの要因によって、テーマ的に回帰してきていると思われる。また、インターネットを支える技術者コミュニティと自然への回帰を志向するヒッピー文化にはつながりがあり、それもまたオキュパイ運動などとの関連で表出してきている。

情報社会論は、論点を初期の情報社会論に近いところに戻してきていると思う(だから僕は先日、「メタボリズムの未来都市展」に行ってあれこれ考えたりしてみた。その件についてはまたこんど)。ただ、その時代からは30年以上の時間が経っているので技術や社会状況が変わっているし、どうも人々の心理がこれまでの想定とは変わってきているところにポイントがあると思われる。FTMのGreenTableで「シェア」とか「洞察」とか「一般意志」とか「消費者の志向」について議論してきたのを振り返ると、僕らはその点を掘り下げようとしているのではないかと思う。

これまでの議論を簡単に振り返ると、GreenTableが現状分析を基に望ましいと考えている「スマート社会」とは、シェアを通じて欲望を抑える社会ではなく(むしろシェアを通じて付加価値を高めている)、「もっと、速く、良く」という世界観が描いてきたSFのような未来社会でもない(それはほぼ実現可能だし、それで何をするべきなのかということが問われている)、ビッグデータ解析による行動予測に決定される社会でもなければソーシャル(メディア)マッチョな人たちだけが快適な社会でもない、ということは見えてきている。

そんなわけで、RedTableでやっているような技術・政策的な議論と、GreenTableでやっているような社会的な論を更に深め総合していと、新しい(情報?スマート?)社会論が生まれるんじゃないだろうか、と思えてきました、というお話。

■追記:
ニューズウィーク日本版のウェブコラムで酒井啓子さんが「リベラル民主主義」ではない、ファシズムやポピュリズムなどの「非民主主義」的な思想でもない、「まだ見ぬ新しい思想」が現れてきているのではないか、ということを書いている。この「新しい情報社会論」もそれと関わっているように思う。

2012.01.19

震災と共感

094_2※写真は和田倉噴水公園


阪神淡路大震災から17年が経った。

17年前、1995年の1月17日。僕は高校3年生で、埼玉にいた。その日は、朝のニュースで第一報を見たけれども、そのままいつものように登校したのだったと思う。ただ、昼休みに放送部が被害状況を読み上げてくれて、ことの重大さを知った。

それでも、埼玉と被災地はとても離れているし、関西には親戚もいないし、その当時は受験生(その後浪人生)だしということで、僕にとって阪神淡路大震災はテレビや新聞の中の出来事だった。


時は流れて2011年。

東日本大震災が起きた直後、関西の友人たちと連絡をとっている時に、気持ちが共有できていないと感じ、少しイラついたことがあった。頻繁に揺れを感じ、原発の爆発を目撃し、緊急地震速報に怯える中では、彼らと一緒に東北へ支援に行こうなんていう相談をする気持ちの余裕が無かったのだ。

でも、自分も阪神淡路大震災の時は自分に当事者意識がなく、関西の人たちとは全く共感できていなかっただろうという事を思い出して、ズレがあるのは仕方のないことだと受けいれた。そして、いまの自分でできる範囲の事をやろうと思ったのだった。

最近は、東北へ行ったり、東北と関わることが増えてきたけれども、何度行っても僕が現地のことを分かったつもりになることはやめよう、まずは先入観なしによく声を聞こう。

そんなことを思った。