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2015年6月

2015.06.14

ガルトゥング氏についての思い出

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へー。ヨハン・ガルトゥング氏が来日するのだそうです。

思い出話がひとつあります。僕が大学に入ってすぐの頃(1年生の春か夏)に、ガルトゥング氏が中央大学に来て講演をされたことがありました。その時、生意気で怖いもの知らずだった僕は、彼の話にちょっとした飛躍があると感じ、質疑応答の時間に教授たちに混じってその点を果敢に質問したのでした。(質問の内容の詳細は忘れました)

回答については2つのことを言われたと明確に覚えています。ひとつが「いい質問である」、もうひとつが「和辻哲郎『風土』を読め」でした。

「いい質問である」という言葉が、こういう質疑をするときによく使われる言葉であるというのは後で知ったのですが、この時は「褒められた、自分はいい質問をした」と嬉しくなったものでした。それから、なぜ彼がこの本を読めと言ったのか、文脈が思い出せないのですが、和辻哲郎『風土』は読みました。あれから19年かぁ。

2015.06.04

誰のため、何のためのオープンデータなのか

Kyoryukoen

誰のため、何のためのオープンデータなのか、という議論が下記のブログで展開されていていろいろ思った。前回の記事でも(だいたい賛同しつつ)少し違和感があったのだけど、今回の記事でもまた違和感があった。

 足りないのは人材と望まれるデータなのだった
 (
Hiro KAWAGUCHI Laboratory
 http://www.kawaguchi.com/works/?p=1414 

論点は整理した方がいいし議論は噛み合った方がいいのだけど、筆者は異なる立場の人々が一つの方向に収束していった方がいいと考えているように読める。でも僕は収束はしなくていいのではないかと思う。

オープンデータが誰のため、何のためなのか、ということについては複数の考え方が存在しているのが実態だし、だからこそここまで進んだと僕は思ってる。政府だって別方向の3つの目的(透明性信頼性、国民参加官民協働、経済活性化行政効率化)があると最初から明示している。そもそも本格化した契機は災害対応だったし、文化振興とか国際貢献・国際政治とか、もっといろんな立場の人が参入してきていろんな論点が出た方が全体的に進むはずだ。

筆者が指摘するように、ギークは非常に重要なプレイヤーだ。でもあえていえば、重要なのはギークだけではない。たとえば透明性を重視したり、教育的効果を重視したりする立場の人にとっては、ギークにとって扱いにくい形式のデータであったとしても、内容や粒度が希望を満たしていればOKなのかもしれない。つまりギークの立場では満足のいかないオープンデータであっても、他の面では前進していることを肯定的に受け止めて、怒ったり否定したりせずに協力して進めていこうよ、ということだ。