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2011年12月

2011.12.28

タブレット/スマホ時代の自治体サイト

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先日、東海大学の河井先生や静岡県三島市・掛川市・島田市の皆さんがうちの職場へいらっしゃり、タブレット/スマホ時代の自治体サイトの役割などについて意見交換をした。

僕からは「電子書籍が本の発想を引きずっているように、自治体サイトも広報誌的発想を引きずっているのではないか。タブレットやスマホ時代には、人々を地域の色々なサービスにつなぐ公共アプリのリモコンの様に捉えてはどうか」という話をした持ち運べて双方向で現実のサービス(申請とか決済とか人を呼ぶとか…)と直結する窓口がリモコンになったようなものがタブレット/スマホ向け自治体サイトの将来像だと思う。河井先生も「ポータブルガバメント」という言葉で同様の考えをお持ちのようで方向性が一致した。

本当はこれは「自治体サイト」に限る必要はなくて、むしろ地域の民間サービス(スーパーとか鉄道とかヘルスケアサービスとか)と連携したほうが魅力的なメニューが増えて利便性が上がるだろうし、ビジネスモデルも描きやすくなると思う。

2011.12.26

民主主義はマイクロな自前主義へ?

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一昔前なら多額の投資や大組織を必要としたようなことを個人や小組織でもできるようになった。動画を世界に配信するということは、以前はテレビ局ぐらいにしか出来なかったことだが、いまや僕のような個人であっても、手元のスマートフォンから今すぐ始めることができる。このような「エンパワーメント」は、情報社会化の意義の中でも最も大きなもののひとつだ。

情報社会化の影響を政治の文脈で考える時にも、この「エンパワーメント」は、権力関係に大きな影響を与える重要概念だと思われる。そして、個人や小組織が強くなることによって、民主主義は「マイクロな自前主義」に向かうと考えるべきではないかと思う。

2011年に世界を揺さぶった「ジャスミン」等の中東革命やオキュパイ行動は、まさにこのITが一定の役割を果たし、マイクロな自前主義が支えていた。また、日本に限らずシェアハウスやシェアオフィス/コワーキング志向が強まっている。その背景にも、マイクロな自前民主主義があると思われる。

そしてこのようなマイクロ自前主義的活動が活性化した主な要因としては、通信回線や データセンター、端末といった物理インフラから、コミュニケーションや課金等の機能、アプリケーション開発環境、果てはコンテンツに至るまでの活動基盤 が、大幅に低価格化したことが挙げられる。情報化のグローバル化やクラウド化の恩恵ともいえる。  

…こんなことを最近考えています。
続きはいずれ。


2011.12.21

TwitterからFacebookへ。そして使い分けへ。

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Twilogのデータを元に、自分の月間ツイート数の変遷を調べてみた。

僕がTwitterの利用を開始したのは、2007年5月から。同じ頃にTimelogの利用も開始。TwitterよりTimelogの方が居心地がよかったので、しばらくはTimelogをよく使っていた。

月間ツイート総数は、2009年に入り、じわじわと増加。仕事のグチなど個人的なつぶやきが多い。6月に行われた情報社会学会の研究発表大会では、初めて「Tsudaる」をやってみた。そして同じく6月の米国出張では、オバマ政権のオープンガバメント政策を学び、ニューヨークとサンフランシスコで、まだ日本ではほとんど知られていなかった「コワーキングスペース」を見学した。そのうちの一つ、Citizen Spaceを創設したのが、『ツイッターノミクス』を著したタラ・ハントである。そして帰国後、6月30日に「Twitterと政治を考える」ワークショップ開催。これが大きな転機になった。

Twitterは政治や報道を変えるのか (1/2)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0907/01/news062.html

‎2009年夏は衆院選があり、この前後に政治家のTwitter利用が急増した。政治家のTwitter利用について、新聞の取材をいくつか受けた。AP通信の記事にもなっていろんな国の新聞に載ったのはちょっと楽しかった10月・11月はGLOCOMフォーラムでオープンガバメントの話をやったり、1回目の事業仕分けのTwitter中継や勝手ネット中継(ケツダンポトフ)を応援したりしていた。この頃も楽しかったなぁ。

その後、うなぎのぼりに月間ツイート数は増えていき、2011年3月が歴代のピークとなった。東日本大震災の後はずっとツイッターに張り付いていたから、これは納得できる。ただ、興味深いのはその後、急に月間ツイート数が減少に転じているということだ。この頃からFacebookを使い始める友人が増え、Facebookに書いた方がコメントや「いいね!」が付く確率が高くなったため、僕のFacebook滞在時間が延びていったのだと思う。

最近はFacebookは本当に知り合いの人々とのプライベートなコミュニケーション中心、Twitterは仕事や研究関係のオフィシャルなコミュニケーション中心、と使い分けるようになってきている。おそらく、ツイート総数は横ばいになるか、これから少し増えていくのではないかと思っている。

2011.12.20

山元町へ行ってきた

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以前から話をうかがっていた、また情報社会学会WSで事例紹介されていた山元町を自分の目で見たくて行ってきました。常磐線の運行が止まったままなので代行バスに乗って、車の中から景色を見ました。

津波が来てないところは、どこにでもありそうな田舎町であるのに、海が見通せる場所に出たところ、数キロ先まで「何にもなかった」です。そのことが非常に印象に焼き付きました。この写真は、坂元という駅や集落があった付近です。

私はこれから、色々な機会を通じて山元町やそこで展開されている思い出サルベージオンラインプロジェクトを紹介したいと思っています。

今回は時間がなかったこともあり、山元町を「見る」ことしかできませんでした。これまで、被災地を見に行くなんてことは失礼ではないかと思っていましたが、これからの活動を進めるうえでは行ってきて良かったと思っています。

2011.12.16

171災害伝言ダイヤルを使った保育園の引き取り訓練

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昨日は171体験利用の日だったので、事前に、171を聞いてからお迎えに来るように指示が出ていました。そして保育園の先生が、子供たちがお迎えを待っている場所についてのメッセージを171に残し、そこに親が迎えに行くということをしました。

そういうルールなので、私が迎えに行ったときには、先生から、171の録音を聞いたかどうかの確認をされました。

それからうちの保育園はあらかじめ親族に引取り人の名前を記入した「引渡しカード」という小さな紙が渡されていて、この紙を保育園に渡して子どもを引き取ることで、緊急時に誰がどの子を引き取ったかの記録が保育園に残るようになっています。今回はこのカードを使いました。(ちなみにうちは私、妻、私の親が持っています。)

なお、保育園の先生は、171に1時過ぎと3時過ぎと5時過ぎの三回、録音をしていました。1時過ぎは地震が起きたが子どもたちは大丈夫であること、3時過ぎはこどもの引渡しは○○の部屋でやっているということ、5時過ぎは子供の数が減ってきたので子どもたちは○○の部屋に移動したということが吹きこまれていました。

東日本大震災の日に僕は171に自分の声を吹き込んだけど、おそらく誰もその声は聞いてないと思います。

それから保育園については、僕のソフトバンク携帯から直接電話をかけたもののなかなかつながらず、やきもきしました。つながったのは6時過ぎだったかなぁ。おそらく現場の先生方も大変だったと思います。

そういう経験があったので、昨日の訓練はありがたいし必要だと思った次第。