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2007年12月

2007.12.26

地域活性化のために「人」をつなげ

政策空間に原稿を書きました。

地域活性化のために「人」をつなげ
http://www.policyspace.com/2007/12/post_687.php

ITによる地域活性化

地域活性化は、現在もっとも重要な政策課題のひとつだ。福田内閣が設置した「地域活性化統合本部会合」は2007年11月に「地方再生戦略」をまとめた。本稿ではその中にも挙げられている「情報技術の活用」による地域活性化について考えたい。

「地方再生戦略」は、IT戦略本部が作成した「ITによる地域活性化等緊急プログラム骨子」を推進し、さまざまな施策に取り組むと表明している。具体的には2007-08 年度を「支援強化期間」とし、各省庁に施策を前倒しで実施するなど取組の加速化や拡充を求めている。

1月からの通常国会や2008年度予算は、地域活性化にかなり力を割いたものになるだろう。だが国が描いた絵を実行に移すためには地方自治体の役割が決定的に重要だ。地方自治体には、地域活性化のためにITインフラの整備や利活用の促進などの計画を前倒し、積極的に国の支援策等を活用することが求められる。


地域社会を機能させるもの

ITの活用に大きな予算が付く、というと新たなバラマキ型公共事業ではないかという批判がある。確かに緊急性の無いデータベース入力作業などを雇用対策として行った例はあるし、大規模な公共システム開発を行うIT企業に対して「ITゼネコン」などと批判を向ける声はある。そのような批判は当たっている部分もあるが、IT業界が持つ構造的な問題もあり、ここでは深く立ち入らない。それよりも、これから行われる「ITによる地域活性化」に何が求められるかを考えてみたい。

地域活性化を語るときに、「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)」という用語をたびたび耳にする。「地域の活性化はソーシャルキャピタルの醸成によってもたらされる」とか、「ソーシャルキャピタルが豊かな地域は元気がある(安全・安心である、景気がいい等)」などといった使われ方をする。地域活性化には、この「ソーシャルキャピタル」というコンセプトがカギであるという考え方をする人が少なくない。

ソーシャルキャピタルについてはさまざまな研究があるが、ロバート・パットナムという政治学者が行った「Making Democracy Work(「邦題:哲学する民主主義」、1993年)」という研究が代表的である。彼は、1970年代にイタリアで進んだ地方分権について研究し、地方政府がよく機能した地域は、自発的な市民活動が根付き活発で水平・平等主義的であると考えた。

このときに彼が、「人々の協調行動を活発にし、効率を高める社会的特徴」として位置づけたのがソーシャルキャピタルだ。これは「信頼」、「互酬性規範(互いに与え合う意識)」、「市民参加のネットワーク」などによって構成されていて、ソーシャルキャピタルが充実している地域では、地域経営が効率的に機能しうまくいくという。これらを踏まえて彼は、アメリカ社会でソーシャルキャピタルが低下し地域が衰退しているという指摘を行った。

パットナムのソーシャルキャピタル論は、日本の地域社会を考える際にも参考になる。もともと日本の地域社会には、「結」や「講」やさまざまな中間組織が存在し、「信頼」、「互酬性規範」、「市民参加のネットワーク」の源となっていたと考えられる。だが近代化が進むと社会分業や地方行政が発達し、旧来の仕組みは衰退した。地域社会は自律性が低下し、「政府の指示や知識、中央の資源」に頼って全国どこでも画一的な姿になるような地域経営を行った。その中で町内会や業界団体など、新たな中間組織が整備されたが、近年は既得権化したり機能不全に陥ったりしていて衰退傾向にある。また特に都市部では人々の流動性が高いため、協力関係がなかなか構築されず、危険や不安感が高まっている。
今後の地域社会を考えると、もはや「政府の指示や知識、中央の資源」に頼って生きていくことはもはやできなくなってしまったといえるだろう。少子高齢化が進みグローバルな競争が進む中で中央は地方を支えきれなくなっている。地域社会は政府や中央になるべく頼らず、自ら課題を分析し、目標を定め、自前の知識や資源で問題を解決していく必要がある。


ICTで「人」をつなげ

ただ、衰退が進む地域社会にいきなり自立を求めるのは難しい。政府は、地方分権や税源の移譲などを進めているが、パットナムのイタリア研究やソーシャルキャピタルの議論を踏まえると、これからの地域社会にとって「人々の協調行動を活発にし、効率を高める」ことや、そのために「信頼」や「互酬性規範」や「市民参加のネットワーク」を育てることがきわめて重要ではないかと思えてくる。行政などとともに地域経営を機能させるための中間組織を生み出し、活性化させ、それらの連携を機能させるような「ネットワーク型のガバナンス」を作り出すこと、と言い換えてもいいだろう。

ICT(ITに「Communication」を加えた「ICT」という言葉の方がこの場合は適切だ)による地域活性化も、使われないシステムの構築や、技術主導の実験事業に大金をつぎこむのではなく、「人」をつなぎコミュニケーションを活発化させること、そして信頼や互酬性規範や参加ネットワークの形成を支え、ソーシャルキャピタルを醸成するために行われるべきだ。

ネット上のコミュニケーションでは助け合いの精神がしばしば機能しているし、さまざまな情報や体験を共有することで、人々が互いの信頼感を高めることもある。ネット上のコミュニケーションからサークルや団体など新たな中間組織の活動を生み出した例もたくさんある。ICTの利活用というのは、実体のないバーチャルな世界の話ではないし、若者が遊んでいるだけの世界の話ではない。ICTこそ、人々の協調行動を活発にし、地域社会を活性化する基盤となる可能性がある。地域活性化のために、ICTで「人」をつなごう。

2007.12.25

シャブ浜

落語ネタをもうひとつ。
年末に演じられることが多い「芝浜」という人情話がある。

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芝浜
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%9D%E6%B5%9C
酒ばかり飲んでいる男が芝浜で大金の入っている財布を拾う。しかし拾ったはずの財布がなくなる。妻の言葉によって「財布を拾ったこと」は夢であったと諦める。男は改心して、懸命に働き、立ち直り、独立して自分の店を構えるまでに出世する。後に妻から事の真相を知らされるという筋。実は妻が財布を隠していたのだ。 夫婦の愛情を暖かく描き、古典落語の中でも屈指の人情噺として知られる。
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古今亭志ん生
http://fujitv.cocolog-nifty.com/yose/2007/09/post_6457.html

これは、とってもいい話だ。↑の古今亭志ん生の語り口もじんわり暖かくていい。お勧めです。

ただ、この「芝浜」には立川談笑がアレンジした「シャブ浜」というのがあって、こっちも最高にいい。面白くて泣ける。初めて聞いたとき、古典をここまで壊すかというくらい壊していることに驚きつつ、最後には本当に涙を流してしまいました。お勧めです!!!!

http://fujitv.cocolog-nifty.com/yose/2007/08/post_a7eb.html

夏目房之介さんも絶賛
http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2007/11/post_3b4b.html

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http://danshou.at.infoseek.co.jp/entertain/texts/rakugo/shabuhama.html

元暴走族「横須賀爆走愚連隊じいざす」メンバーの白井ケンイチは、トレーラーの運転手。
覚せい剤に溺れている彼は、このところ欠勤がちで収入は滞り勝ちだった。

ある朝、見かねた妻カズエ(元ヤン・妊娠中)に促されてようやく出勤したが、時間を間違えていたため営業所はまだ開いていなかった。
しかたなく、いつもの公園にトレーラーを停めて時間をつぶすケンイチ。
海辺のこの公園は、集会や日の出暴走の帰りに決まってカズエと朝まで過ごした場所なのだ。
あの頃と変わらない早朝の潮風と鮮やかな日の出を味わいながら、感慨の一服。
そのとき、植え込みに置かれたスーツケースを発見する。
幼女の遺体かと思いきや、中を開けると札束がぎっしり詰まっていた。

仕事そっちのけで家に取って返し、妻と数えてみると札束は4000万円あった。
「宅配ピザとれ、宅配ピザ!あと、ジュンとヨシクンとカツシとヨーコ呼べよ。あとBJも。で、コンビニ行って酒買ってこいや。帰りに吉岡さんとこ行って10パケ譲ってもらってこい。アン?手前ェが行くんだろ、このタコ!」
遊び仲間が集まって酒と覚せい剤。デリヘルも呼んでの乱痴気騒ぎで夜が更ける。
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(ここから後はネタばれがもったいないので省略)

2007.12.24

『持参金』と『里帰り』

私は、ジョギングしながらiPodで落語を聞くのが趣味です(渋いですよねー)。

今日は、自宅がある亀戸から両国の回向院までジョギングをし、↓の二つを聞いた。『持参金』を聞いたのは2度目だけど、この柳家さん生のにぎやかな語り口は楽しかった。『里帰り』は途中で話の筋は分かってしまったけれども、それでもほろっとしてしまいそうになる、とってもいい人情話だった。

『持参金』柳家さん生
http://fujitv.cocolog-nifty.com/yose/2007/11/post_f16a.html

『里帰り』春風亭柳昇
http://fujitv.cocolog-nifty.com/yose/2007/11/post_5746.html

2007.12.15

オバマの演説

JMMのメルマガで冷泉彰彦さんが、アメリカ大統領選挙の民主党候補指名を争っているオバマの選挙運動を紹介していた。

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(略)民主党サイドでは先週から今週にかけて話題の中心はオバマでした。ヒラリーが、例の「発言に一貫性を欠く」という周囲の攻撃にもたつく間に、支持率を大きく伸ばしただけでなく、メディアでもオバマの選挙運動が大きく取り上げられるようになっています。

 それは、先週もお話したTVのトークショー司会者「オプラ・ウィンフリー」がオバマの遊説に同行を開始した、その効果が予想をはるかに上回るものだったからに他なりません。(略)

(略)この日のオプラのスピーチは大変に立派なものでした。「サウスカロライナの皆さん、おおサウスカロライナの皆さん、ついに私はこの地にやって来ました」という呼びかけをTVショーとは別人のような、思い切り荘重な言い方で行ったオプラに対して、一気に場内の大観衆は熱狂しているようでした。

(略)この遊説にはミッシェル・オバマ夫人も同行し、演説に際しては夫妻とオプラの三人で手を取り合う姿が喝采を浴びていました。実はここまでの選挙戦では、ミッシェル夫人はそれほど表舞台には出ていなかったのです。それは恐らく夫妻が一緒に並んでいるシーンは「美男美女カップル」という絵になってしまって、ともすれば「現実
感や生活感覚から遊離している」という印象を与える、陣営がそんな懸念を持っていたのではないかと思うからです。

 ですが、オバマとオプラがスクラムを組むとなると、そこにオバマ夫人がいないと「不倫ではないか?」などと言われかねない(実際オプラはオバマの「熱烈なファン」だと言っているので)わけで、夫人を引っ張り出したのでしょうが、意外なことにこの三人の組み合わせを見ていると、純粋にビジュアル的な印象としてオバマ夫妻という「二人の絵」が非常なカリスマ性を持っているようにも見えるのです。それも計算外の効果だったのではないでしょうか。
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略した部分に、オプラ・ウィンフリーのいろいろなストーリーが書いてあるのだけど、長くなるので割愛。オバマについては、だいぶ前から話題にはなっていたけれど、ここへ来て勢いが増しているらしい。先週お話をうかがった在米ジャーナリストの方も、「ヒラリーがどんな人間であるかは、汚いことまで含めてみんなよく分かってしまっているから、これから得点を重ねるのは難しい」というような趣旨のことをおっしゃっていた。それに対してオバマはオプラ・ウィンフリーのカリスマ的な力も借りながら期待は高まっているらしい。リード・ハントやローレンス・レッシグなどのIT業界の重鎮もオバマへの支持を表明しているらしい。

そこであらためて、オバマについて興味が出てきたのでオバマのサイトを見に行ってみると、↑で冷泉氏が話題にしていたオバマとミッシェル夫人とオプラ・ウィンフリーが登場する集会の動画が掲載されていた。

なるほど確かにものすごい雰囲気。オバマは演説がうまい。↓にある動画は、2004年7月に民主党大会で行った「伝説の演説」と言われているものの後半部分。3-4分のあたりからどんどん盛り上がっていく。

2007.12.06

動画で韓国大統領選挙気分

アメリカ大統領選挙も面白いのですが、その前に韓国大統領選挙が近づいてきました。さすがにあちらの国では、インターネットをガンガン使っています。↓の動画は高原さんに教えてもらった韓国の動画サイト(Daum)より。言葉はわからないけど、映像をみると少し雰囲気が伝わってきます。

■李明博候補テレビCM
敏腕経営者だが、庶民派であることもアピールか。スプーンを持ってない方の手が不自然。

■李会昌候補テレビCM
可もなく不可もない感じ。しかしなぜ候補者本人が静止画なのか。

■鄭東泳候補テレビCM
フリーハグみたい。まあまあ自然だけど好き嫌い分かれるだろうな。

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※参考:最近書いた自分の原稿より

選挙が行われるたびにインターネットの活用が話題になる。これは、インターネット上のサービスが持つ双方向性や公開性、効率性などの特徴を生かすことによって、より多くの有権者が候補者の支援に参加したり、資金を提供したりすることが期待されているからだ。そのため選挙運動では、さまざまなインターネット上のサービスが試される。海外まで目を向ければ、インターネットを活用しようという取り組みは、行政的な政策形成過程よりも選挙目的の方が非常に盛んだ。選挙はさまざまな情報技術やサービスが発達する機会でもある、と言い換えることもできるだろう。

特に2000年以降は、ブログやSNS、動画共有サイトなどの「ソーシャルウェア」が選挙で一定の役割を果たし注目を浴びている。ソーシャルウェアとは、情報の共有や新たな知識の創造など、人々の社会的な協働活動を支援するソフトウェアや情報サービスのことだ。双方向のコミュニケーションを促すという意味では「インターネットらしい」サービスだともいえるだろう。

たとえば2004年の米国大統領選挙に向けた民主党の予備選では、ハワード・ディーン候補がブログを活用して積極的な情報発信を行い、支持者はSNSを活用して数多くの集会(meetup)を組織し、ネット経由の献金を集め、有力候補に浮上した。2008年の大統領選に向けた現在のキャンペーンでも、民主党の有力候補たちはYoutubeで演説や活動状況を動画配信し、MyspaceやFacebook、FlickrなどのSNSサイトで支援コミュニティを運営し、またdel.icio.us等のソーシャルブックマークで注目記事を共有するなど、ソーシャルウェアを積極的に活用している。特にバラク・オバマ候補は、非常に完成度の高いSNSサイト を独自に運営し、ジョン・エドワーズ候補は22ものソーシャルウェアを活用したり 3D仮想世界のSecond Lifeでキャンペーンを行ったりしている。またYoutubeやMyspaceといったサイトの側でも、大統領選挙の特集ページを設け、有権者の情報発信や交流、候補者とのコミュニケーションを支援している。一部の先進的な人々だけが使っていたソーシャルウェアが注目度の高いイベントである選挙で活用されることによって、より多くの人に利用されるようになったり、新たな試みを生み出したりしている。

米国以外でも政治とソーシャルウェアの関係は深い。韓国では、市民記者制のインターネット新聞「OhmyNews」が2002年の大統領選挙で盧武鉉候補を支援し当選に貢献した。また盧武鉉大統領の弾劾決議の是非が争点となり最終的には大統領を支える与党ウリ党が議席を3倍増させた2004年の国会議員選挙でも、野党寄りの主要メディアが報じないニュースを報じたOhmyNewsや、パロディサイト「Mediamob」「DCinside」などが、インターネットとの親和性が高く盧武鉉大統領支持者が多いとされる若者の投票率を上昇させた。韓国の世論形成では「ネチズン」と呼ばれるこのようなインターネットユーザーの影響力が強く、政党や政治家はインターネット上での情報公開や彼らとのコミュニケーションにかなりの労力を割いている。このほか、2007年に行われたフランス大統領選挙ではニコラ・サルコジ候補、セゴレーヌ・ロワイヤル候補の双方がセカンドライフ上に事務所を開設してキャンペーンを行った。またスペインの地方選挙でも、与党・社会労働党(PSOE)と国民党(PP)のセカンドライフ上の事務所が双方の支持者によって攻撃されたというニュースがロイターによって報じられた。
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2007.12.02

増殖する米国の地方自治体

先日、「社会情報学会」の研究会で「日本の地域社会におけるコミュニティガバナンス ー実践・課題・展望ー」という発表をした際に、米国の地方自治体制度についてとても面白い話を聞いた。その発表によると、近年、米国では地方自治体が「増加」しているのだそうだ。市町村合併を促して自治体を減らしている日本とはまったく逆の方向へ米国は進んでいる。

参考:米国の自治体制度
http://staff.aichi-toho.ac.jp/okabe/ronbun/jichius.html

そもそも米国の自治体というのは、住民が自治体を作ると意思表示して初めてできる、市民団体や自治組織みたいなものなのだそうだ。だから、住民がそういう合意形成をしていない地域に基礎自治体はなく、米国には自治体のない地域に住んでいる人もたくさんいる。たとえばカリフォルニア洲では、人口の 18%にあたる600万人が自治体のない地域に住んでいるそうだ。しかしそういうところに新しい自治体を作る動きが広がっている。

けれども発表を聞いていて気づいたのだが、ソーシャルキャピタル論のロバート・パットナムは2000年ごろ、米国で地域社会の崩壊が進んでいて「独りでボウリングする」ような人が増えているという指摘をしていた。その情報に基づいて日本でもソーシャルキャピタル論がブームのようになっているのだけれど、どうも事情はそう簡単ではないらしい。

ロバート・パットナム「孤独なボウリング ―米国コミュニティの崩壊と再生」
http://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%81%AA%E3%83%9C%…

日米で自治体の人口規模を比べてみると、日本は1万人~2.5万人の自治体がもっとも多く、このあたりをピークとする山の形(正規分布)になるのに対して、米国では1000人未満という最小単位の自治体が最も多くなっている。

日本でも江戸時代には7000以上の自治体があったというけれど、その当時の自治体はおそらく米国のような数百人や数千人規模の小自治体だったはずだ。また、地域SNSもじつは、数千人という規模がどうも最適規模かもしれないと私は考えている。いろいろな事例を見ていると、数十万人規模を目指している地域SNSはないし、「ひょこむ」を主宰する和崎さんは「1000人を超えたころから雰囲気が変わった」と指摘している。そう考えると、自然に人が集まって話し合い、参加型で地域を経営しようとしたら、1000人~数千人くらいの規模が最適なのかもしれないと思えてくる。

市町村合併が進むと、ほとんどの自治体が数万~数十万人規模の都市になる。しかし、実際にさまざまな問題解決のためにボトムアップ的な住民のパワーを使うとするならば、自治体の下部に数千人規模くらいの小規模な地域社会をもう一度作り直していくことをしなければ、地域社会はうまくまわらないのではないだろうか。そうだとすると、数千人の新たな地域社会のコミュニティの基盤として、地域SNSや地域ブログ等のサービス・ポータルサイトとはまだまだ発展の可能性があるのかもしれないと思った。

こういう議論と最近よく聞く「ソーシャルグラフ」の話を結びつけたら面白い研究になるだろうなぁ。