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2005年5月

2005.05.20

韓国ネット生活事情

朝鮮日報のウェブサイトを見ていて、韓国のネット世代ユーザーの日常がよくわかる記事を見つけたのでクリップ。

Na世代の縁はインターネットで結ばれる(朝鮮日報)
1月に韓国へ出張したとき、そこで出会った人たちは、オンライン趣味サークルがオフラインでの活動(オフ会)も活発に行っていることを紹介してくれた。実際にあるサークルのオフ会に参加させてもらったのだが、バックグラウンドの違う人たち同士が互いにハンドル名で呼び合ってとても盛り上がっていた。

日本で「祭り」と呼んでいるようなネット上の盛り上がりが実際の政治に影響を与えることも少なくない韓国では、オンラインでの生活とオフラインでの生活の距離が近い。ネットによる「新しい出会い」を求める傾向も、日本より韓国の方が強いといえるかもしれない。

ネチズンの73%「メッセンジャーなければ業務に支障」(朝鮮日報)
日本でのメッセンジャーの普及率はどのくらいだろうか。また、利用している人はどのくらいの友人をリストに登録しているだろうか。ちなみに僕自身は、MSNメッセンジャーを主に使っていて、41人の友人を登録している。そのうち日常的に連絡をとりあっているのは8人くらいだ。

2005.05.14

ised@glocomの中からブログを書いてみる

いま、ised@glocomに参加しています。
(このエントリーは随時加筆していきます)

かのせさんの「小さなサイバーカスケード」っていう観点は面白い。僕は反日デモ的な大きなサイバーカスケードにばかり注目してきたけれども、小さなサイバーカスケードが頻発する可能性、というのがネット上の振る舞いにどういう影響を与えているのかというところはちょっと考えてみたいところだ。


と書いたものの、内容に夢中になって結局ブログは書けませんでした。
くわしくは近日中に公開される議事録をご覧ください。

研究会、やります

今月はいろんな研究会をやっています。
どなたでも参加できますので、ご関心の方はぜひおいでください。


情報社会学(若手)研究会  ミニコンファランス(5月)
「日中電子掲示板事情と反日デモ」

  1)「中国ネット言論の政治的機能について:反日言説を中心に」(仮)
  報告者:祁 景えい(東京大学大学院・学際情報学府博士課程)

  2)「日本における電子掲示板上でのコミュニケーション:歴史的展開」(仮)
  報告者:前島一就(ニフティ株式会社)

  日時:5月15日(日)12:00-16:00
  場所:独立行政法人経済産業研究所1121会議室(経済産業省別館11F)
  地図:http://www.rieti.go.jp/jp/about/map.html
  参加申込先:shibu@glocom.ac.jp(しぶかわ)


政策空間サロン(特別編) 『テロリズムと日本の対テロ戦争』勉強会

  発表: 片桐範之
       (ペンシルベニア大学政治学部博士候補)
  ディスカッサント:
      小池政就
       (参議院議員藤末健三政策スタッフ、日本大学国際関係学部非常勤講師)

  日時: 5月22日(日) 午後2時~4時 
  会場: 国際大学グローバル・コミュニケーション・センター 1F 会議室
       東京都港区六本木6-15-21 ハークス六本木ビル
  地図:http://www.glocom.ac.jp/top/map.j.html
       (休日のため通用口からビルへ入ることになりますのでご注意ください)
  定員: 約30人(どなたでもご参加できます)
  申込: editor@policyspace.com (政策空間編集部) までお名前をお知らせください。


政策空間vol.23、出ました

政策空間の最新号が出ました。今月はたくさん投稿をいただきました。ありがとうございます。久しぶりに個人的に「お勧め」な原稿を紹介してみようと思います。

「安心・安全」と予防原則という神話
西澤 真理子(ドイツ・シュトュットガルト大学社会学部環境社会学科研究員 社会学博士)

日米関係・次世代への挑戦
東海 由紀子(ジョージ・ワシントン大学客員研究員)

中国は民主化しても反日であり続ける
阿久津 博康(NPO法人岡崎研究所 主任研究員)

ここ数年、政治家や官僚の人たちが「安全・安心」という言葉をよく使うようになってきたという気がしていたのだが、西澤さんの原稿を読んで、これが東浩紀さんなどがいうところの「社会のセキュリティ化」「リスク社会化」と結びついていたんだ、ということに気がついた(なに今さら気づいてるんだ、と言われそうだけど)。

東海さんは、「「日米関係はこの150年で最高」と言わしめているのと裏腹に、両国の将来を担う人材を取り巻く環境は非常に厳しい」と指摘している。これはアメリカで知日派・親日派知識人の高齢化、つまり若手の日本離れが起きていることを指摘している。

阿久津さんは、タイトルの通り「中国は民主化しても反日であり続ける」ということを指摘している。反日デモは共産党政権の非民主的な統治の産物であって、いずれは中国も民主化するであろうから反日運動は中長期的に見れば消えていくものだろうと漠然と思っていたが、阿久津さんの原稿を読んで、そう簡単ではなくて構造的に根が深い長期的な問題なのかもしれないと思い始めた。

2005.05.11

「個人情報検索エンジン」に驚いた

面白いニュースを見つけたのでクリッピング。
Wired News - 詳細な個人情報を無料で検索できる『ザバサーチ』(1) - : Hotwired.

2005.05.06

I voted for you because,,,

Smart Mobs: I voted for you becauseによると、総選挙が終わったイギリスで、「I voted for you because」サイトが立ち上がったそうだ。面白そうなのでとりあえずクリッピング。コメントは後ほど。

イギリスといえば、theyworkforyou.comなんてサイトもあってe-democracyの取組みとして面白い。これ、同じ人がやってるのかな?

2005.05.04

「散歩の達人」は名文に支えられていた!

「散歩の達人」がつまらなくなった気がする」なんて書いたら、たくさんの方からコメントをいただいてしまった。しかも一時はググると1ページ目に出ていたせいか、友人知人だけではなくて、散達の編集部で仕事をしたいと思っている方や、散達のイラストを描いた方からもコメントをいただいてしまって、makolog始めて以来の反響の大きさにちょっと驚いた。

漠然とした印象を書いただけなのに、もしかしたら「散歩の達人」の編集部の方々も見て傷ついているんじゃないか、とか、「散歩の達人」の評判を落としてしまっているんじゃないか、と心配になってきた。僕としては「散歩の達人」にもっともっと面白くいい雑誌になって欲しいのであって、もし心配が当たっていたらそれは本位ではない。

そんなわけで、makologではこれから、何か気がつくことがあった時に「散歩の達人はどうすればもっともっと面白くなるのか問題」を考えてみたいと思う(笑)。

そこで過去の「散歩の達人」を手にとって見たら、一目で気づくことがあった。それは、「文章」の問題だ。過去の号の方が、だんぜん文章が面白いのだ。これだ。まずはこれだ。

2001年7月号(阿佐ヶ谷・善福寺川)の冒頭

太宰治虫と言います。のっけからで申し訳ないのですが、死ぬことにしました。いいえ、止めないでください。いまの私には幸福も不幸もないのですから。あ、そうそう、紹介しますね。こちらは今度ボクと一緒に心中してくれる田辺さんです。ほらシヅ子、ちゃんと頭を下げなさいよ。こちらはなんとかいう雑誌の人で、、、えっと、何でしたっけ?「散歩の鉄人」?はぁ、5回に1回はそう呼ばれると―それはお気の毒にね。いえ、別に興味はないもんですから。
そういえば、阿佐ヶ谷の案内でしたよね。思えばこの街は私のような根無し草が住むにはもってこいの場所だったと思います。

いきなり「太宰治虫と言います」だ。そして「のっけからで申し訳ないのですが、死ぬことにしました」とくる。これは引き込まれまる。

それに対して2005年5月号(ザ・板橋区)の冒頭

いまどき「板橋宿と中山道」といってもピンと来る人は少ないだろうが、このあたりを語る上ではずせないスポットだ。で、現状はどうなのだろうか、散歩がてらにルポしてみよう。

うーん。明らかに文章力が違う。揚げ足を取るようなことはあまりしたくないが、「現状はどうなのだろうか」で始まるなんて、なんか大学生のレポートみたいだ。

こうして古い「散歩の達人」を読んでいたら、冒頭から一気にその土地の雰囲気へと読者を引きずりこむような”名文”が多いことに気づいた。ちょっとずつ引用してみよう。

2000年6月号(柴又・堀切・水元公園)の冒頭

よ、青年、観光かい?いい若いモンが何しょぼくれて飲んでいやがるんだい、え。なに?営業の途中か。ほう、ノルマがきついのか。それで会社辞めて東京を離れたい、と。故郷はどこだい。なに?故郷は捨ててきた?帰る故郷がないってかい。病んでるねえ、青年。そんな時は柴又でも歩いてみたらどうだい。なに?帝釈天はもう行ってきた?コラ青年、帝釈天にちょっと寄っただけで柴又を知った気でいるのか。見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし。よし、青年、これから俺が、柴又とはどういう町か教えてやるから、ホラホラお新香なんか食べてないでよーくきくんだぞ、いいか。

寅さんを彷彿とさせる人物が、テンポいい口上のように柴又を紹介していく。

2000年9月号(浦和・与野・大宮)の冒頭

さいたま教入信希望者へのあいさつ
さいたま教は、東京や横浜などに比べて不当に虐げられてきたさいたま地区の本来の姿を、さいたま様の教えを通して布教しているものです。さいたま地区の本来の姿とは「ダサさ」ではなく「人の心の温かさ」、もしくは「豊かな緑と田園風景」「旧中山道に代表される雅やかさ」「流行にとらわれないガンコな魂」なのです。地元の民も他所からの民も、さいたま様の教えを信じれば、幸福な気分へと導かれるのです。まず、さいたま様の守護に感謝しましょう。感謝を表すために、さいたま地区への誤解、、偏見をあなたの頭の中から追い出し、心を真っ白にいたしましょう。そして、さいたま地区を散歩してみましょう。そう、誰でもすぐに実践できることなのです。

与野にある観音様の写真を背景に、このディープで圧倒的な文章で始まる。

2000年10月号(四谷・麹町・荒木町)の冒頭

ハッア~イ!アタシが荒木町一の美女猫・マリリンよ。アタシがこの町に来たのは1年前。前の町ではオトコと揉めてね、めんどくさいから出てきちゃったの。、、、、ああ、なかいろいろ思い出してきちゃったわ。ちょっと待ってて、いま顔を洗って気持ちを落ち着けるから。ペロペロ、グリグリ、、、、。ふう。ごめんなさいね。お話続けましょ。
初めてここの石畳に肉球を踏み入れたときには、ホント、感動したわ。だって、町全体が飲み屋の見本市!ってカンジだったから。いっかにも敷居の高そうな料亭があるかと思えば、その裏手の居酒屋ではサラリーマンのおじ様方がどんちゃん騒ぎ。植木鉢の陰から車力通りを覗けば、香水をプーンと匂わせた年増のママが「ごめんなさいね、ウチ会員制なの」とやんわり酔客を締め出してる。

各ページにいろんな猫が登場して、その猫の性格にあった口調で紹介している。これも面白い。

2001年3月号(神田・神保町)の冒頭

社長  ついに21世紀がやってきた。
社員一同  うっす!
社長  そこでわが社は、さらなる躍進のため、22世紀を見据えた営業を始めなくてはイカン。
一同  、、、、、。
社長  つまりだ、既存の価値観をあえて放棄し、新しい未来を築くためにグローバルな視
お局OL  また社長チャンの長話ね。ところでデブ山はなんでこの会社に入ったの?
デブ新入社員  そうでぶねぇ、大手町や新橋にある大きな会社で小さな歯車になるよりは、ちっちゃい会社で―とおもったでぶよ。
お局  ふぅん、たしかにこの界隈はそんな人たちの町かもね。紺屋町には小さな薬問屋や硝子器具問屋がいっぱいあらうし、須田町あたりも雑居ビルに入った中小の会社ばかり。

これもまたディープ。神田辺りに実際にありそうな中小企業の社長と社員たちの掛け合いで町が紹介される。イラストも味がある。

ちなみにここまで引用した文のライターはほぼ全てちがう人だ。そう考えると、過去の「散歩の達人」は総じて文章力がすごく高かったということだろう。そういえば、駅で衝動的に「散歩の達人」を買って、あまりの面白さに引き込まれて電車の中で夢中で読みふけったことがあったことを思い出した。

というわけで、「散歩の達人」には、もっともっと面白い文章で町歩きを演出して欲しいな、と思うのである。

福井で鯖を食べてきた

tsuruga先週、お昼を食べているときに福井県出身のIさんと『焼き鯖寿司』はおいしいよね、という話になり、その勢いで焼き鯖寿司の本場である福井県にぶらりと一人旅してきた。敦賀に1泊しただけだったので滞在時間は短かったけれど、本場の焼き鯖を食べ、焼き鯖寿司をお土産に買い、敦賀の観光スポットである『日本海さかな街』『気比の松原』『気比神宮』『ヨーロッパ軒』を訪れて帰ってきた。

写真は三保の松原、虹ノ松原に並ぶ日本三大松原という『気比の松原』から撮った日本海だ。若狭湾から敦賀にかけてはリアス式海岸のため、海の青と山の緑が映えている(奥には敦賀原発関連らしき鉄塔がぼんやり見えたけど)。敦賀は海の景色がとても印象的だった。

敦賀は(というか若狭湾一帯は)海の幸も豊かだった。日本海側最大の魚市場という『日本海さかな街』には、カニ、エビ、かれい、鯖、昆布など海産物がたくさん並んでいて、午前中からすごくにぎわっていた。数十種類の海鮮丼が食べられる店もあって、壁一面にならんだ色とりどりの海鮮丼の写真にとても惹かれたけれど、ここではこの旅行の目的であった「焼き鯖」(800円)を生姜醤油でいただいた。鯖を丸ごと一匹、店頭で豪快に焼いたもので、脂が乗ってておいしかった。今回は注文しなかったけれど、ご飯と味噌汁も注文すれば付けられる。

パンフレットなどを見ると、敦賀・若狭一帯は、はるか昔から海産物が豊かな土地として有名で、色々な海産物を都の天皇家に献上していた御食国(みけつくに)と呼ばれていたそうだ。小浜から都へ鯖を運んだ「鯖街道」の話や、古代天皇家がこの地に鯛を食べに来たという話、「気比(けひ)」という地名も「笥飯大神(けひのおおかみ)」「食(け)霊(ひ)」からきている、なんていう話は、歴史好きとしてはとても面白かった。

自然だけではなくて、漁港や倉庫、海外との交流の歴史を感じさせる建造物や物語も楽しんだ。京都や奈良に近いこともあって、敦賀は大陸や朝鮮半島と日本の交流地点であったそうだ。702年に建立されたという気比神宮には、敦賀が昔から重要な港であったことを示す話が伝わっていて、新羅の属国であった金官国(伽揶)から『笥飯(けひ)の浦』と呼ばれていたこの地に、鹿の角を身に着けた都怒我阿羅斯等(つぬがのあらしと)という人物がやって来て崇神天皇に貢ぎ物をしたという記述が日本書紀にあるそうだ。気比神宮にある角鹿(つぬが)神社はこの人物を祀っていて、この「つぬが」が敦賀の地名の起こりになったという。

タクシーの運転手さんは「敦賀にはねぇ、何もないんだよ」なんて言っていたけれど、これだけのことを1日で楽しめて、いい旅行だったと思う。

※ヨーロッパ軒のソースカツ丼については「ランチ探検隊@はてな出張所」に書く予定です。