2018.01.09

複属の時代でも「こぼれ落ちるもの」と「こぼれ落ちること」

日経新聞の記事にコメントが掲載されました。
地域SNSにしろ、グローバルな大手SNSにしろ、ソーシャルメディアとは人と人をつなぎ、その上でさまざまな付加価値を提供するサービスですから、利用者にさまざまな意味で有益な人のつながりをもたらしてくれます。こうしてソーシャルメディアが個人により多くのコミュニティに所属すること(=複属化)を促すことは、個人がひとつのコミュニティに全面的に所属するしかなかった時代よりも、豊かで、生きやすい時代に私たちを導いてくれるかもしれません。
そして記事にもあるように、こうしたネットを介した人のつながりは、地縁血縁とは別の社会ネットワークとして、少子高齢化が進み、単独世帯も増え続け、地域力の低下が懸念される地域社会の運営に役立つものとして期待されています。
地域社会でSNSを活用していくためにはいくつかのコツがあることが分かってきているので、ピアッツァやマチマチのような新興のサービスや、FacebookやLINE、Twitterなどの大手サービスを使って地域活動を進めようとしている方々には、ぜひそうした知見を活かしていってほしいと願っています。
で、それはいいのですが、懸念していることもあります。ソーシャルメディアは基本的に、有志をつなぐものですから、この新しい社会ネットワークから「こぼれ落ちるもの」があるということです。地域SNSを使って同じ市内・町内の仲間とはつながることはできるけれども、たとえば隣の家で困っている独居高齢者とつながる可能性は低いのです。しかし「向こう三軒両隣」のようなきわめてローカルな地縁関係での協力こそが、これから社会課題となっていくわけですが、地域SNSだけでは、まだこの問題の解答にはなり得ていません。
また、複属化する社会のなかで、あえて個人がネットワークから「こぼれ落ちること」をどれだけ社会が許容していくのか、という問題もあります。位置情報や購買履歴情報をはじめ、さまざまな個人情報をサービス事業者に提供することを原則とする社会に私たちは向かっています。これまでコンビニは八百屋や魚屋のようなところで世間話をしながら買い物をするのとは対照的に、匿名の存在で買い物をすることが出来る場所でしたが、いまや監視カメラに撮影され、ポイントカードで購買履歴を記録されながら(つまりシステマティックに記録をされながら)買い物をする場所になりました。多くの人にとって普通に生活する分にはそれでもあまり支障はないのですが、なにか事情があって匿名でありたい人にとって、誰にも補足されず記録を残さずに生活を送ることは難しくなってきているように思われます。しかしそれで本当によいのか。はるか昔の「縁切り寺」のように、何らかの社会装置をどこかに用意しておいたほうがいいのではなないのか、そんなことも少し気になっています。

2016.09.07

多重国籍や複属の話

二重国籍うんぬんが話題になっているので関連する話題をひとつ。
近ごろ電子政府界隈で話題になっているエストニアのe-residencyというバーチャル市民権のようなものがある。これを持っていると、エストニア政府のデジタルサービスを受けることができ、銀行口座を開くことができ、会社を作り納税することができる。エストニアはEU加盟国なので、バーチャルEU市民権(半人前)みたいなものだともいえる。

 

で、面白いことに、世界で最も高位の公人でそれを持っているのがなんと日本の安倍首相なんだそうだ(2015年当時。リンク先参照)。

 

まあ、国際交流の一環で送られたものなんですけどね。

 

ただ、たとえばデンマーク政府は2015年9月から二重国籍を認めるようになり、大使館は「より多くの人たちがデンマークでその才能を発揮できるようになります」とツイートしている。優秀な人材を引きつける手段として二重国籍を導入したという面もあるのだろう。国籍が一つ、という考え方は変わり得るものだと考えたほうがよいと思う。

 

※デンマーク大使館のツイート(2015年)

そんな「複属」の未来については、下記のインタビューでお話しした。

※追記:さっそくデンマーク大使館がツイートしてました。抜け目ないな。

2016.06.30

6月30日とオープンガバメント

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「Twitterと政治を考えるワークショップ」を開催したのが2009年、7年前の6月30日でした。そして、(たぶん国内で初の)「オープンデータ活用ハッカソン」を開催したのも2012年、4年前の6月30日でした。







7年前のTwitterワークショップを開催した時、米国ではオバマ政権が誕生し、すでに様々なオープンガバメント施策を始めていました。日本はTwitter自体がまだ流行り始めたころで、当時はまだ、ネットで実名で政治を語ることにかなり抵抗がありました。Twitterを使う国会議員は2人だけという状態。ネットがサブカルにしか使われずメインストリームで使われないことを指摘して、梅田望夫さんが「日本のウェブは残念」と言っていました。







それから7年の間に、政権交代が2度あり、政治家や行政機関のソーシャルメディア利用が進み、それどころかネット選挙運動も、18歳選挙権も実現しました。2011年の震災以降はオープンデータも進み、政府機関のウェブサイトのコンテンツ全てが(!)原則オープンデータになりました。「政治や行政はなかなか変わらない」と僕もよく口にしてしまいますが、これはそれなりに急速で大きな変化だったと思います。しかもこの変化を、ときに自分も少し関わったりもしながら間近で見てこられたのは、僕の人生にとっても大きなことでした。





ただ、現在のTwitter上の政治的なコミュニケーションは、社会的な分断や荒廃ももたらしているように見えます。オープンデータについても、すでに公開していたものをオープンライセンス化しただけのものが多く、価値あるデータを使いたくなる規模や使いやすい形式で、新たに提供し始めた事例は少ないです。つまり、急速で大きな進展はあったけれども、思い描いていた状態にはなっていない、ということを改めて感じます。





◯関連するもの




庄司昌彦(2007)「政策形成・選挙と、情報技術を使いこなす人々」『情報通信ジャーナル』






庄司昌彦(2007)「政策形成・選挙と、情報技術を使いこなす人々(2)」『情報通信ジャーナル』








庄司昌彦(2010)「「Twitter政治」は民主主義を増進するか」『智場』




庄司昌彦(2012)「ソーシャルメディアを活用する小集団の活動と社会変革」『智場』








2016.03.20

地下鉄サリン事件と1995年

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地下鉄サリン事件が起きた21年前の今日の朝、僕は「浪人することが決まり、駿台へ行くことになりました」と恩師に報告するために高校へ行くところだった。

事件が起きた頃は、日比谷線に乗り入れている東武線に乗っていた。その日の目的地は浦和なので途中の新越谷駅で降りたけど、たしかその新越谷駅で「日比谷線の駅で爆発か何かがあったらしい」と聞き、驚き、途中で合流した友人にそのことを話したのだったと思う。

翌月からは御茶ノ水の駿台に通うようになった。御茶ノ水駅の周辺ではオウム真理教の信者が彼らの主張を載せた雑誌を配っていて、1度だけもらったことがある。それはまだ捨てていない。当時、オウム側を担当していてテレビにも頻繁に登場していた老弁護士がお気に入りの喫茶店があり、そこにカメラが押し寄せているのを見たこともあった。

僕と事件の関わりはそんなものなのだけど、当時の僕は阪神淡路大震災が起こり、都心でテロ事件が起き、その他にもいろいろなことがあったこの1995年のニュースに釘付けになってしまい、ひたすら新聞を読み、切り抜き、スクラップを作っていた。のめり込んでいた。

おかげで駿台では小論文担当の講師とさまざまな事で話すのが楽しくなってしまい、いま考えると、本来やるべき勉強には全くといっていいほど打ち込んでいなかったと思う。

そしてオウム事件と学生運動との関連を論じた新聞記事をもって講師に質問しにいったところ、学生運動出身だった講師の心に火を付けてしまい、受験とはまったく関係のない学生運動関連の映画の上映会を何人かの講師たちが実施し、授業ではないのにあふれんばかりの人が集まってしまう、ということもあった。

1995年は、いまでもいろいろ語りたくなってしまうくらい、自分にとっては強烈な体験の連続だった。いまの僕の人生に大きな影響を与えた年だったと思う。

2016.01.09

学習院大学法学部「メディア政策論2」講義資料

学習院大学法学部「メディア政策論2」(2015年度)の講義資料は、下記で公開しています。学習に役立ててください。

https://goo.gl/8i3d5O

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2015.10.03

シリア難民の件

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シリア難民の件。安倍首相の記者会見での発言はなんとも残念なものだった。

生きるか死ぬかの状況で一般市民が止むに止まれず逃げ出している状況を自国の人口問題として捉えるのもどうかと思うし、内政を優先するというのもあそこで言う答えではない。首相の発言は失敗だった。

ただ、あの場面で、どう答えるのが正解だったんだろうとは思う。制度を整備しなければ難しい中、緊急にできることとして留学生向けの制度を使い、数人だった難民受入れを数十人、数百人にします、などと真面目に言っても問題の大きさや日本経済の大きさにとっては焼け石に水で、失望された可能性が高い。多数の難民を受入れている東欧諸国を金銭的に後方支援する(追記:国連演説で言ってました)というのも意味はありそうだが、積極的平和主義で安保理常任理事国入りを目指すという国にしては物足りないという評価になりそう。

でもそのくらいで逃げるのが良かったのかなぁ。合格点はもらえないけれど、大きな非難にはならないというくらいが現実的なところだったのだろうか。

アメリカやカナダ、中国、韓国、インドといった、日本政府が意識しそうな先進国・大国の対応を詳しく知らないので、これ以上はなんとも言えないけど、そんなことが、気になった。

2015.09.21

日本一のホットケーキ

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マツコデラックスが番組のパンケーキ特集で日本一と大絶賛した店が地元にありまして。

番組で取り上げられて以来、いつも行列ができていたのですが、今日は人が並んでいなかったので初めて入ってみました。

派手なものは特にない、地元の人が集まるような昔ながらの喫茶店です。ホットケーキもシンプルで地味なものですが、ふわっとした空気感があり、やさしい味でした。

ホットケーキには特に思い入れはなかった自分でも、この「やさしい」感じを知ってしまうと、たまに来たくなりそうな気がしました。

2015.08.21

岐阜県東白川村

今年度から総務省の地域情報化アドバイザーを仰せつかることとなり、さっそく活動しています。第一弾の活動は、岐阜県東白川村の「ICT地域マネージャー」。単発の講演やアドバイスではなく、複数回、現地を訪問し、情報化のお手伝いをするというものです。

東白川村は、昨年度の総務省の地域情報化大賞で総務大臣賞を受賞した「フォレスタイル」の村です。先日、はじめて東白川村を訪問し、現地のことを色々と学んできました。

東白川村の名物は高級な材木となる東濃ヒノキ。高地で作る白川茶。そしてトマト。あと、伝説の生き物であるツチノコ(!)が有名です。また、東白川村は廃仏棄釈が激しかったところで、現在も寺がひとつもない珍しい村としても知られています。
訪問してわかったのは、この村は大きな可能性をもっているということ。東濃ヒノキの住宅、白川茶、フォレスタイルといった「ウリ」があるだけでなく、しばしば役場の方々と話していると、次々と新しいことに取り組んでいこうという姿勢を感じます。これはすごいことです。また、村の課題や村が小規模であるということさえも「ポテンシャル」であるように思えてきました。

ところで。この写真はケチャップではありません。

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東白川村で買ってきたトマトジュースです。東白川村はヒノキや白川茶だけでなくトマトも名物なんですが、特にこのトマトジュースが気になったので2種類買ってきたのでした。

その名も「トマトのまんま」。右側の無塩甘口と書いてある方は、ラベルを見ると「原材料:トマト」しか書いてありません。本当にトマトのまんま。左側の方は「原材料:トマト、塩」のみ。どちらも余計なものは一切なし。潔いです。

飲み比べてみたところ、無塩甘口の方は、本当にしぼったばかりのようなやや水っぽいところがあり、フレッシュさを感じました。一方、塩の入っている方は、無塩甘口よりも味が整っていて、むしろ甘さを強く感じる気がしました。いずれも美味しかったです。

※追記:このジュース、「トマトのまんま」なので、「取れた時期によってトマトの色が異なるため、微妙に色の違う商品となるのが、欠点でもあり、ウリ」なのだそうです。いや、各日にウリでしょう。そういうことを知ってしまうと、それぞれの時期の違いを実際に見たり味わったりしたくなります。

と、ここまで書いてきて告白するのですが、実は僕は子供の頃からトマトジュースはあまり好きではありませんでした。原因は子供の頃の印象なので、ちょっと塩味が強かったとか、ドロっとした感じが馴染めなかったとか、そういうことだったと思います。ですが、ある時飲んだトマトジュースが美味しかったことによって苦手意識がなくなったんです。それは、たまに昼食に行っていた寿司屋さんが食前に出していたしぼりたてのトマトジュースです。よく冷えていて、トマトの果肉のゼリーのような食感も少し残っていて、そして塩味も気にならなくて、とても美味しかったのでした。そのお寿司屋さんは無くなってしまったので、僕にとっては「幻のトマトジュース」になっていたのですが、今回、東白川村で買ってきたトマトジュースは、食感がやや違うものの、かなりその時のジュースを思い出す味でした。今度は現地でよりフレッシュなものを味わってみようと思います。

それから、東白川村のスギを使った学習机を作っているコダマプロジェクトのお話。

製品のデザインも素敵だし、子供たちに山との関わりを作る機会を作っているのもとてもいい。うちの1年生にもこの机をプレゼントしたいなと思ったり。(でもそうすると息子用にもう一台必要になる…)

2015.06.14

ガルトゥング氏についての思い出

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へー。ヨハン・ガルトゥング氏が来日するのだそうです。

思い出話がひとつあります。僕が大学に入ってすぐの頃(1年生の春か夏)に、ガルトゥング氏が中央大学に来て講演をされたことがありました。その時、生意気で怖いもの知らずだった僕は、彼の話にちょっとした飛躍があると感じ、質疑応答の時間に教授たちに混じってその点を果敢に質問したのでした。(質問の内容の詳細は忘れました)

回答については2つのことを言われたと明確に覚えています。ひとつが「いい質問である」、もうひとつが「和辻哲郎『風土』を読め」でした。

「いい質問である」という言葉が、こういう質疑をするときによく使われる言葉であるというのは後で知ったのですが、この時は「褒められた、自分はいい質問をした」と嬉しくなったものでした。それから、なぜ彼がこの本を読めと言ったのか、文脈が思い出せないのですが、和辻哲郎『風土』は読みました。あれから19年かぁ。

2015.06.04

誰のため、何のためのオープンデータなのか

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誰のため、何のためのオープンデータなのか、という議論が下記のブログで展開されていていろいろ思った。前回の記事でも(だいたい賛同しつつ)少し違和感があったのだけど、今回の記事でもまた違和感があった。

 足りないのは人材と望まれるデータなのだった
 (
Hiro KAWAGUCHI Laboratory
 http://www.kawaguchi.com/works/?p=1414 

論点は整理した方がいいし議論は噛み合った方がいいのだけど、筆者は異なる立場の人々が一つの方向に収束していった方がいいと考えているように読める。でも僕は収束はしなくていいのではないかと思う。

オープンデータが誰のため、何のためなのか、ということについては複数の考え方が存在しているのが実態だし、だからこそここまで進んだと僕は思ってる。政府だって別方向の3つの目的(透明性信頼性、国民参加官民協働、経済活性化行政効率化)があると最初から明示している。そもそも本格化した契機は災害対応だったし、文化振興とか国際貢献・国際政治とか、もっといろんな立場の人が参入してきていろんな論点が出た方が全体的に進むはずだ。

筆者が指摘するように、ギークは非常に重要なプレイヤーだ。でもあえていえば、重要なのはギークだけではない。たとえば透明性を重視したり、教育的効果を重視したりする立場の人にとっては、ギークにとって扱いにくい形式のデータであったとしても、内容や粒度が希望を満たしていればOKなのかもしれない。つまりギークの立場では満足のいかないオープンデータであっても、他の面では前進していることを肯定的に受け止めて、怒ったり否定したりせずに協力して進めていこうよ、ということだ。

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