デンマークは複数国籍(多重国籍)を認めています。母国の国籍を失うことなく、デンマーク国籍を取得し、デンマークで才能を発揮することができますよ! pic.twitter.com/08Z69dQT5K
— 駐日デンマーク大使館 (@DanishEmbTokyo) 2016年9月7日
地下鉄サリン事件が起きた21年前の今日の朝、僕は「浪人することが決まり、駿台へ行くことになりました」と恩師に報告するために高校へ行くところだった。
事件が起きた頃は、日比谷線に乗り入れている東武線に乗っていた。その日の目的地は浦和なので途中の新越谷駅で降りたけど、たしかその新越谷駅で「日比谷線の駅で爆発か何かがあったらしい」と聞き、驚き、途中で合流した友人にそのことを話したのだったと思う。
翌月からは御茶ノ水の駿台に通うようになった。御茶ノ水駅の周辺ではオウム真理教の信者が彼らの主張を載せた雑誌を配っていて、1度だけもらったことがある。それはまだ捨てていない。当時、オウム側を担当していてテレビにも頻繁に登場していた老弁護士がお気に入りの喫茶店があり、そこにカメラが押し寄せているのを見たこともあった。
僕と事件の関わりはそんなものなのだけど、当時の僕は阪神淡路大震災が起こり、都心でテロ事件が起き、その他にもいろいろなことがあったこの1995年のニュースに釘付けになってしまい、ひたすら新聞を読み、切り抜き、スクラップを作っていた。のめり込んでいた。
おかげで駿台では小論文担当の講師とさまざまな事で話すのが楽しくなってしまい、いま考えると、本来やるべき勉強には全くといっていいほど打ち込んでいなかったと思う。
そしてオウム事件と学生運動との関連を論じた新聞記事をもって講師に質問しにいったところ、学生運動出身だった講師の心に火を付けてしまい、受験とはまったく関係のない学生運動関連の映画の上映会を何人かの講師たちが実施し、授業ではないのにあふれんばかりの人が集まってしまう、ということもあった。
1995年は、いまでもいろいろ語りたくなってしまうくらい、自分にとっては強烈な体験の連続だった。いまの僕の人生に大きな影響を与えた年だったと思う。
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